【自分はどうだ】物語の主人公はどこにいるのか【言葉の魔力】

塾で働いていると、生徒たちの口から色んな言葉を耳にします。その言葉たちをどこで覚えたかはわかりません。しかし、人間たちの人間像を作っているのは間違いなく言葉です。良い言葉でも悪い言葉でも。

もうこれを書いている時点で、タイトルから恥ずかしいブログになるのだろうなと想像しながら書いていますが、結構重要なことなので続きを書いていくことにします。

例えば悪口のない世界で生きている人たちは悪口の存在すら知らず、人に悪口を言うことなんて確実にありません。人は言葉を使って想像するので、言葉を知らなければ想像もできません。「赤いリンゴを想像して」と言われても、赤やリンゴという言葉を知らなければ想像できないですよね。

さらに厄介なことに、人は反復することでそれを大事なものと認識をします。そして悪い影響を与えるその言葉を繰り返し使っている人たちは、その言葉に支配され、すべての事象をその言葉に結び付けようとしていきます。

例えば「うざい」と言う口癖の人。この人は人からのアドバイスをすべて「うざい」と捉えるようになります。反復して使っていくうちに脳がそれを定着させているからです。

他にも「出来ない」「めんどくさい」やさらにひどい言葉たちも、使っていくうちに自分がそういう人間になっていくことを助長していきます。

ただ、そうはいっても知っている言葉を今から無くすのはほぼ無理に等しいです。なので、今良くない言葉が口癖になっている人はそれを別の言葉に変換、選択ことが必要になってきます。

以前のブログにも書きましたが、言葉を選択する権利は自分にあります。なので、アドバイスをもらったときに「うざい」と思うのも「ありがたい」と思うのも自分の意思決定です。

そして人は『一貫性』を持つように構造されているので、「うざい」と捉えたものに対しては、ただ悪の印象を持とうとするし、「ありがたい」と捉えたものに対しては、良い印象を持ち、アドバイスを実行に移そうとします。

有名な物語の主人公やその仲間たちは、人を信じ、プラスの言葉ばかりを口にして、時に良くない考えを持っていたとしても、それを反省することが出来ていますね。ヒール(悪者)役にしても、そのヒール役を主人公としてみると、自分の信念を持っていて、それを叶えるための思考、行動をしています。

逆に主人公でもヒールでも仲間でもないただのわき役、所謂誰の記憶にも残らないキャラクターは、他の悪口を言い、自分で何かを成し遂げようともせず、苦労も喜びも感じていません。

自分はどうだ。と自問自答をしてみてください。わき役のような人生で良いと私は思いません。自分の人生くらい自分を主人公にしたい。そんな少年心も持ちながら、今日も生きていこうと思います。

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