常識という名の非常識

とても久しぶりのブログとなりました。こんな怠惰な自分を戒めないと、と思いながら、人ってなかなか変われないなぁと実感しております。

ただ、人は変われるということも知っているので、有意識で日常の中に取り込みたいと考えてます。

さて今回は、常識という名の非常識とタイトルにつけました。これは最近私が猛烈に感じていることで、これを理解しているかどうかで、身の振り方が変わります。

例えばあなたの周りに、「普通は…」とか「当たり前じゃん」とよく言う方はいるでしょうか。

実は私、小学生のころから「普通ってなんだ」と思う痛い子供でした。
今となってはこの考えは非常に重要な考えだったなぁと思うのですが、周りの人たちは私を屁理屈と言いましたね。

では普通って何かを説明できる人はいるでしょうか。普通の定義は何でしょうか。辞書で引いてみました。

普通…【特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。】

んー、分からん!
いや、言っている意味はわかるんですよ。何がわからないかを一応明確にしておくと、基準がどこにあるかということです。

例えば私は朝9時に起きれば早い方なので、この時間に起きるのが普通なのですが、他の皆様はもっと早く起きている方が多いと思います。

例えば私は勉強をするならば、理解をするまでやらないと気持ち悪いので、理解するまで学習することが普通なのですが、そうではない人の方が多いようです。

このように、普通というのは人それぞれに基準があって、安易に人に強制するものではありません。

塾で働いている今も、営業をしているときも、自分基準の当たり前を人に押し付けているときは大抵上手くいきませんでした。

結論、私の常識は誰かにとっての非常識かもしれないということです。

特に私の仕事では、相手が小学生~高校生まで様々いるので、私の常識など通用しません。

あたりまえのレベルが低い子もいれば、高い子もいます。
私の仕事は、生徒たちの『あたりまえレベル』を向上させることにあるな、と思っているところです。あたりまえレベルというのは造語です。勝手に造りました。

誰もが高い位置のあたりまえを持ち、まだあたりまえレベルが高くない人がそれに引っ張られるような組織、グループになれば、それが所謂普通になります。

私自身、この怠惰な性格を律して、もっとあたりまえのレベルを上げられるよう、精進していこうと思います。

 

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