自分が損することを知らないで当たり前にしている人たち

前回のブログで、自分の常識は誰かの非常識である、という話を書きました。
今回はそれの続きというか、とても関連が深い内容を書こうかなぁと思います。

正直私自身、他人がどんなあたりまえの中で生きていようがあまり興味は無くて、「あぁ、そんな考えもあるのか」程度のことなのですが、あまりにも自分が損をするあたりまえを行っている人が多いなと思っています。

例えば挨拶1つとってもそうです。挨拶はおそらく昔のブログでも触れた気がしますが、あいさつをしないことがあたりまえの人は例外なく損をします。

理由は簡単で、私たちは人間社会で生きているからです。
現在のサービスを受けまくっている人間社会で生きている以上、他人との接触は避けられません。そんな中、挨拶をしない人はどうなるでしょうか。

これはとても単純な話で、人から好かれない人生となります。
人間は思考をする生き物ですので、どんな人でも当然好き嫌いがあります。

愛想が良くて挨拶ができる人と、不愛想で挨拶をしない人ならば、ほとんどの人は前者の方をかわいがります。

それで何を損するかというと、学生でも社会人でも、かわいがられる人間は、何もしなくても他者からの恩恵を受けます。先輩や同僚(同級生)から仕事や勉強を教えてもらったり、手伝ってもらったり。言い方はおかしいかもしれませんが、勝手に教えてもらえるので、勝手に自分のスキルアップにつながります。

あたりまえに挨拶できる人、というだけで自分の成長も、周りの人の空気を良くすることもできている結果となります。

たかが挨拶ですが、それをしないという選択をするだけで損をしているという実感がないのも怖いものですね。

 

他にも、「人の話を聞けない」「他者の考えを理解しようとしない」「自分側の非を認めない」など、例を挙げればきりがありませんが、自分が損していることに気が付けないのは、相当ビハインドになると考えています。

ただ、自分があたりまえにやっていることが損するかもしれないと気が付く方法はあります。私も実践していることです。

それは、例えばこのブログを見たときのような他者の考えに触れたときに、「自分はどうかな」「どうするのが正解かな」と自分で考えて、実践することです。

多くの人は、話は聞くけれど他人事として捉えて、自分は大丈夫と謎の自信をのぞかせます。自分は自分にとって都合の良い脳を持っているんだと気が付かなければ、一生損していることにすら気が付きませんので。

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