英語教育が大事だ!と言われて早何年と過ぎようとしていますが、塾で指導している身としては、英語教育の何が変わっているのかという疑問ばかりが浮かぶ今日この頃です。
むしろ、小学校の英語教育が始まってから、英語の苦手意識をもって中学生になっている子供が多いとすら感じています。ただ、これは体感値でしかないので、参考にしないでください。
今から書く私が考える英語教育は、おそらく批判殺到な気がしますが、一応私の考えを書いておきます。
日本人の英語能力
日本の英語力は非英語圏の100ヵ国中53位という結果です。TOEFL受検者のスピーキング能力だけを見ると、170ヵ国中最下位となっています。
TOEFLに関しては、受けている人の属性とかにもよるので、これを信じ切っていいかは微妙なところですが、日本の英語レベルが相当低いことに変わりはありません。
まずはなぜ日本人は英語が出来ないのかについて考察していきます。
日本人が英語を話せない理由
日本人が英語を苦手をする理由は、『英語を話す必要がないから』というものだと考えています。
人は、すべての動物がそうであるように必要性が目の前に現れなければ学習をしません。例えば食の争いがわかりやすく、コアラは毒があるユーカリを食すことが出来るようになり、パンダは肉食であるにもかかわらず、笹を食べるようになっています。これらから見られるように、必要に迫られれば適応するものです。
では、日本人はどうでしょうか。日本はどこの植民地にされるわけでもなかったし、30年前まではバブル期で、(貿易で経済が潤ってはいましたが)ほとんどの人は日本国内だけで経済を回していました。つまり、ほとんどの人は英語を話す必要がない状態での暮らしでした。
今でも、これからの時代は英語が必要だ、と言いながらも英語が必須である場面にはそうそう出会いません。
英語を話せれば世界が広がることは重々承知ではありますが、話す必要がないのが現状です。こんな状態で英語が話せるようになるとは思いません。
他の科目も必要性がないじゃないか、との反論が来そうですが、他の教科も日常レベルで使いこなせている人はいないので、同じことです。英語を話せないのと同様に、私たちはなぜ空が青いのかを説明できないし、大砲の軌道を計算することもできないし、なぜ風向きがこの方向なのかを説明できないのです。
科目的な視点で見ると、英語だけが出来ないのではなく、他の科目も日常で使えるレベルまで学べている人は少ないのです。
私が考える英語教育の在り方
結論から言うなら『英語を主要5科目から外すべき』だと考えています。
英語が大事。それは分かりますが、英語は言語学習です。正しく使えるものを教えなければ意味がありません。
現在、どのくらいの英語教師が正しい発音で、使える英語を教えることが出来ているでしょうか。小学校の英語教育も教科化されて、ただペーパーテストのための学習になっていないでしょうか。
英語に触れる機会を作るのは大事だと思いますが、学校は興味を持たせる程度で良いと思っています。興味がある子は自分で学びます。強制されるから嫌になる子が多いのです。
数学や理科の考え方や知識、歴史の事例などは、社会人になったときどの仕事に就いても役に立ちますが、英語の考え方が役に立つということはありません。英語は使えなければ役に立たないのです。
どうしても英語を必修科目にしたいのであれば、今の英語教育の在り方を一新しなければ意味がないと考えています。