2019年末、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が中国で確認され、翌2020年1月には日本にも感染症第一例目が検知されました。
そこから社会は目まぐるしく変化をし、もれなく教育もその波を受けることとなり、ICT教育を推し進める動きは激しさを増しました。
そもそも以前より、文部科学省が『個別最適化教育』を目指し、教育のデジタル化を進める動きはあったため、その促進になったような形です。
今回はこの『個別最適化教育』についての私個人の意見を述べさせていただこうと思います。
個別最適化教育についての詳細は、文部科学省のHPの子供たち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現に向けてと「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」についてをご参照ください。
私としては、教育のデジタル化は大いに賛成です。特に学校はいまやブラック勤務の象徴として取り上げられることが多く、その負担軽減の意味でも、ICTの活用は必要不可欠と言って良いかと思います。
では実際にそれを受ける子供たちはどうかというと、正直半々なところもあります。
1つ目に考えるのは、教育の出口の部分です。
教育をうけたのちにどこに行くのか、と問われれば就職や起業、つまり仕事をするステップに行きます。
起業する人はひとまず置いておいて、就職するために必要なもののひとつとして、学歴というものが挙げられます。
「学歴なんて関係ない」という方も最近多いですが、本当にそうでしょうか。人間というものはバイアスに囚われるものです。東京大学の教授の見解とフリーターの見解のどちらが信用できますか。東京大学の教授というだけで100%信用してしまう人も多くいますよね。
結論として、学歴はまだまだ必要だと考えます。必要ないと言っている人たちは、本当に賢い人か本当に頭の悪い人の二択でしょう。怒られますかね。
少し話が脱線しましたが、就職にはまだ学歴は役立つというところに戻り再開します。
では、大学入試や高校入試の制度は今どうなっているでしょうか。
まずは言わずもがなですが、所謂平等な基準で採点され合否が決まります。
国公立高校や国公立大学は全教科受験であることが多いため、何か一つだけが秀でていても不合格です。
個別最適化教育と言って、今のあなたに合った内容はこれだよという勉強をしてても受験に間に合わなければ意味がないのが現状です。子供ごとに習熟度が変わっても、入試までの期間は変わりません。
つまり、就職や入試の状況が今のままだとするならば、個別最適化教育をしても出口が変わらなければ意味がないのではないかということです。
もちろん、勉強に興味を持たせることが出来る可能性が高まることであったり、苦手の把握ができやすくなることに関してはとても良いことで、私はむしろ賛成派です。
なので、今後は多くの出口(何かに特化した受験方法や学歴の代わりとなるものなど)を作ってあげることで、個別最適化教育は最良の形になるのではないかと考えています。
2つ目は私が危惧することについてです。
私が危惧しているのは「個別最適化教育」がブランド化や理想化、ましてや営業ツール化してしまわないかというところです。
今、個別最適化指導や個別最適化教育というものを掲げている塾は多くあります。弱点を発見してくれるAI技術や何度も見返せる映像授業など、コンテンツはすごく充実しています。
ただ、学校で授業をしっかり聞く習慣がない生徒が映像授業なら理解できると思いますか。弱点がわかったところで、弱点だけの勉強をしていれば良いと思いますか。タブレットのアプリだと解ける問題がテスト本番で解けると思いますか(これに関しては解けるものもありますが)。
今の保護者世代は、ICT教育について分からないことだらけです。経験していないから当たり前です。あえて悪い言い方をすると、そこに付け込んでくる塾や教育業者なんて山ほどいます。
知識がなければ「あぁそんなもんなんだな」とか「良い世の中になったんだな」となんとなくで受け入れてしまい、後悔する可能性があります。だから私たちICT教育を受けていない世代も勉強をしなければならないんです。
例えば賢い生徒なら、映像授業を見れる環境を作るだけで成績は勝手に上がります。しかし、学習意欲が弱い生徒や勉強が苦手な生徒にとっては、ICT教育になったとしても何も変わりません。
結局は指導者に左右されるのです。良い指導者がいれば、賢い生徒はさらに効率の良い活用法を身につけるし、学習意欲が弱い生徒や勉強が苦手な生徒は声掛けをされたり、助言されたりすることでやっと前に進めるのです。
個別最適化教育は目的ではなく、あくまでも手段です。ただ最先端のものを使って学習することだけには価値はありません。結局紙のテキストで勉強するほうが効率が良いこともあります。
個別最適化教育というものが名前だけのブランド化することの無いように、大人である我々が勉強していく必要がありますね。