センスがある人になりたい!と思ったことはありますか。仕事ができる人とか勉強ができる人とか、羨ましがっても仕方がないけれど「いいなぁ」と思ってしまうものです。
では、センスというものは生まれ持ったものだと思いますか。
答えはイエスです。
「やっぱりな。じゃあ自分は駄目だ」と思った方は少しお待ちください。そういうイエスではないんです。
じゃあどういうことか、ということを3つに分けて説明をさせてください。
1つ目は、人間には向き不向きがあるということです。
運動は得意だけど細かい作業が苦手であったり、人の話を聞くのは得意だけど大勢の前で話すのは苦手であったり、人には得意分野と苦手分野がありますよね。
これは勉強や仕事においても同じ話で、すべてが完璧な超人的な人はあまりいません。ごくまれにいますけどね。ほとんどの人は完璧人間ではないと思っておいてください。
2つ目は、自分に向いているものが目の前にあるとは限らないということです。
例えばサッカーのセンスがある子供がいたとして、その子供がサッカーというものを知らずに育ったら、そのセンスは発見されずに一生を終えることとなります。
例えば、皆さまは職業をいくつくらい言えるでしょうか。
知らない職業に就く人は少ないと思いますので、もしその知らない職業があなたに合った仕事だったら大変ですね。
3つ目は、ルールを理解してからでないとセンスは発見されないということです。
例えば、どうやったら得点が入り、どうやったら勝敗が決まるか全くわからないスポーツがテレビでやっていた場合、それに興味がわくでしょうか。
おそらくほとんどの人は「つまらない」と言って、観戦をしないでしょう。
そうなると、やはり2つ目の時のように、それに挑戦しようとしないので、センスがあったとしても見つかりませんね。
さて、3つの説明をしてみましたが、本質は見えてきたでしょうか。
つまり、何事もある程度やってみなければ向き不向きなど分からないということです。
多くの人は、ルールを理解する前から「自分には向いていない」「私にはセンスがない」と言いがちです。
私は、何1つセンスがない人などこの世には存在しないと思っています。
現に私は学生時代は勉強もスポーツもコミュニケーションも全て苦手でした。
そんな私でも一応独立をして塾を経営するくらいまでは出来るようになりました。
要は、モノを知りやってみて、また新たに知ってやってみる。この繰り返しをしてやっと向き不向きが見えてくるものです。やる前から諦めていたら、そりゃセンスも逃げていきますよってことです。
とりあえず自分は出来るんだというマインドを大切に、ある程度まではやってみる。これを習慣化させていきたいですね。