最近は外気温も暖かくなってきて、過ごしやすくなってきましたね。私は花粉症の症状が出始めてしまったため、暖かくなった喜びと、花粉症による目と鼻への苦しみで挟まれている状態です。
さて今回は、円満が重要だとタイトルに書かせていただきました。このタイトルだけ見ても何のことだかわからないと思いますので、さっそく内容に入りたいと思います。
円満と聞くと『円満退社』という言葉や『夫婦円満』という言葉が連想されやすいと思います。
私も転職を何回かした身でして、円満退社も、そうでない少し遺恨が残ってしまう退社も経験してきました。そして円満かどうかというものは退社や夫婦のみならず、色々なところに顔を出してきます。
私は学習塾を経営しているので学習塾の例を出しますと、やはり退塾者という型が出てしまいます。もちろん私の力不足なので、今後も精進する必要があります。それでもやはり退塾者またはその保護者様の対応は様々です。
このように何かにつけて円満は存在しているのですが、今回は『退社』や『退塾』のような、辞めるという事象にくっついてくる円満の重要性を取り上げていこうと思います。
私は退社を“する側”も、退塾を“される側”も両方経験しているので、両方の側面からお話しできればと思います。
まず、“する側”についてです。先ほども述べた通り、私は円満退社も、そうでない退社も経験しました。
円満退社の一番のメリットとしては、退社した後も連絡を取り合うことが出来て、アドバイスや情報共有が出来るということです。
私も過去に在籍させていただいていた会社の方と、今でも連絡を取っていて、相談に乗ってもらったり、情報共有をしたりして、より良い考え方を発見することが出来ています。
ただ、円満に退社出来なかった会社の方とは、話を聞きたいなぁと思う時もあるのですが、なかなかコンタクトを取ることが出来ません。今思うと、私が本当に未熟でした。
次に、“される側”についてです。退塾する人は卒業(受験終了)を除いて、大きく2パターンに分類されます。1つは辞める理由を明確にしてくれて、連絡を取り合えるパターン。もう1つは辞めることだけを告げて、コンタクトを取ることを嫌うパターンです。
この2つのパターンを受けたとき、平等の精神が重要だとは言え、やはりそこには不平等が生じてしまいます。
前者の場合だと、辞める理由が生徒にあっても塾にあっても、『伝えられることは最後まで伝えたい』という感情が出てきます。なので、最後の時までに何が出来るか、何が必要かを頭をフルに働かせて考えます。
後者の場合は、『もうコンタクトを取るのも嫌がるなら自分が出る幕はないのかな』という感情が出てきます。なので、もちろん責任分は全うしますが、正直前者のパターンと比べてしまうと、手厚さは落ちているかもしれません。
サービス提供者としてこれは不平等だと言われればそうかもしれません。ただ、サービス提供者も人間です。感情はあります。不平等がないように心がけますが、おそらく無意識の不平等はそこに生じていると思います。
このように、“する側”であっても“される側”であっても、『円満』の方が何かと得をします。感情に任せるのも良いですが、自分や相手が損する選択は出来るだけ避けていきたいですね。