教育格差問題は、長い間ずっと議論されながら、特に大きな変革のないまま今日を迎えています。
映像授業やオンライン学習が増えてきたじゃないか、という話も上がりそうですが、それは《民間》がやっていることです。公教育が大きく変わったわけではありません。
そもそもなぜ教育格差が生まれるのか、教育格差をなくすために何が必要なのか、私たち教育者がやるべきことなどを私なりの視点でお話させていただこうと思います。
教育格差が起こる理由
教育格差と言えば、都会と地方での格差のことを指して言うことが多く、それは言い換えれば<情報格差>だと言われています。
例えば、想像してみてください。都心部で暮らす夫婦のもとで生まれた子供と、地方の過疎化している地域に生まれた子供がいます。
都心部の家族は周りにも同じような子供を持つ家族がいて、日々情報が飛び交っているでしょう。その中で子供たちは、大人たちが働くオフィス街を見たり、近くに偏差値の高い学校があったり、視覚情報として多くの情報を手に入れます。
さらに都心部で働く家庭では、仕事として最新の情報を取り入れる必要がある企業も多く、情報の周りが早い傾向にあり、情報をキャッチする機会が多くあります。
一方で地方では、世帯の数が少なくなっていることによる情報不足もありますが、それ以上に将来を見据える視覚情報や聴覚情報が圧倒的に少ないのが現状です。
これだけ情報の格差があれば、どのような教育が良いのか、今何を学ぶべきなのかという選択肢に違いが出てきます。なので、進路や就職の選択も自ずと狭くなっていきます。
地方ではとりあえず地元の高校、大学を選択する人が多いです。都会の人は驚くかもしれませんが、熊本県の高校生はMARCHを知っている人は圧倒的に少数です。むしろ、大学の名前を言ってもらって、10個出てくれば良い方ではないでしょうか(地方名の国公立大学を除いて)。
これらのように周りの環境によって、得られる情報が少ない現状が教育格差を生み出しているのだと私は考えています。
教育格差をなくすために
始めに結論から話すと、教育格差をなくすというのは相当難しい問題です。なぜなら先ほどもお話しした通り、教育格差とは情報格差であり、そしてこの情報格差は子供だけでなく、もちろん大人も当てはまるからです。
地方の高校生がなぜMARCHすら知らないかと言ったら、親も学校も地元の大学の話しかしないからです。例えば熊本の高校生のほとんどは高校1年生の段階で熊本大学を志望校に設定します。
この理由も簡単で、先生や親から直接的ではないにせよ《大学は熊本大学》と刷り込まれているからです。むしろそれ以外の選択肢を知らないのです。
学生たちが多くの時間を過ごすのは学校です。教育格差をなくそうとした場合、民間だけでなく、公教育をする教育者、さらにはその上の人たちが変わらなくてはいけません。それゆえに、教育格差をなくすのは難しいのです。
いまだに自分のやり方以外を認めない教育者や、古い考えを捨てずに昔の自分の成功例だけを頼りに教育する大人たち。そしてそれを許容し、そんなもんだと俯瞰視するようになった子供たち。
自分にとっての当たり前と誰かにとっての当たり前は違うことは周知の事実のはずなのに、なぜか私たちは人を自分に合わせようとしたり、自分を人に合わせようとしたりします。
この日本人的な空気を読む文化を捨てなければ、教育格差は広がる一方です。過去は、大人がこうだと言ったことに従っていれば、確かにある程度までは良い人生が送れていました。
しかし、現代はそうではありません。言われていることをやれば良い時代から、それに加えて言われていないことからニーズを探し、自分の価値を見つける時代となりました。つまり自分で情報収集が出来なければいけなくなっているということです。
しかし、今の学校で個性を伸ばし、自分の価値を見つけるのは相当困難です。学校では皆と同じことを強要され、自分のやりたいことを大きな声で言うことが出来ないからです。
とはいえ現代では情報を得ることは昔と比べて随分と容易になっています。それにより情報を得ることが出来る人間とそうでない人間がさらに分別されていきます。最近流行りの自己責任と言う文化が今後さらに強くなり、格差はさらに広がることが予想されます。
公教育が変わらない現在で格差をなくすためには、自分で情報を集めるしかありません。
私たちにできること
この状況で私たちが出来ることは、まず大人が正しい情報を持ち、様々な選択肢を与えることだと考えています。
私の当たり前とは私だけのものであって、その他の人間に当てはまるものではありません。私たち教育者はそのことを理解しなければなりません。
いまだに「普通このくらいできるでしょ」という言葉を耳にします。普通って何ですか。例えば分数が出来ない中学生がいたとして、その学生からしたら分数が出来ないのが普通なんですよ。
私たちはそのような視点を忘れてはいけません。「これが大正解」というものを持ってはいけないのです。もちろん暗記をするためには反復が必要だ、というような正解はあります。しかし、それにはやり方が複数存在しているのです。
自分が持っている選択肢が常に正しいわけではないという考えを持つことが大事です。
公教育を変えることは今の私には出来ませんが、私の塾に来てくれている生徒だけには、私なりの教育格差をなくす術を全力で施していきます。