無駄な努力と有益な努力

努力は大事である。というのはおそらくほとんどの人が感じていることだと思います。現に社会で活躍している人は、功績や発言等を聴くと、考えられないくらい努力をしていることがわかると思います。

ただ、努力をすると一言に言っても、「その努力大丈夫かな」と思うような努力の方法もあります。

今回は努力の中でも、無駄な努力と有益な努力についてお話ししようと思います。

無駄な努力

ちょっとインパクトを持たせるために“無駄”という言い方をしましたが、努力が出来るという点だけでも素晴らしい才能だと思います。
ただ、努力にも効果的なやり方とそうでないやり方があるということです。

ここで挙げる無駄な努力というのは、ただ数をこなすだけの努力のことを指します。

よく学生時代に「暗記は書いて覚えなさい。覚えていないのは回数が少ないから」というとんでも理論を展開する先生と出会ったことがある人は多いかと思います。

確かに、暗記をするのに反復は必要です。最も効果的な学習であると言っても過言ではありません。

しかし、反復をすると言っても、ただ何も考えずにその言葉を繰り返し書いても効果は半減どころか、とても薄いものとなり、『これだけやったのに出来なかった』という失敗体験を生み出す可能性が高いです。

 

有益な努力

では、有益な努力とは何なのかというところですが、簡単に表現するならば“頭を使った努力”です。

努力と言えば、行動の方に目が行きがちですが、頭を使うことも立派な努力です。むしろこちらの方が重要だと私は考えています。

頭を使うと言えば難しく感じがちですが、よく言われる5W1Hの考えを用いるとやりやすいです。『なぜ』『どのように(やり方)』『何を』『いつまでに』などですね。

例えば勉強面の話をするならば、3時間勉強する時間を作り、その時間のすべてをひたすら問題を解き続けた人がいたとして、それは確かに物量としての努力は認められると思います。

ただ、勉強の最終ゴールは『その問題で得た知識を、テストや現場で使えるものになっているのか』というところにあると思います。この努力の仕方でそこが達成できているでしょうか。

今回の例で考えなくてはならないことは、『なぜその答えになったかを理解できているか(解きっぱなしになっていないか)』『本当に3時間を問題を解くだけに費やす必要があったのか』『次回同じ問題が出た際に解ける状態になっているのか』などなどですかね。

つまり努力には方向性も重要であるということです。ただ努力するのも素晴らしいことではありますが、その方向性を考えたときにより密度の高い努力が出来るようになります。

それが可能になると、努力をした分知識がつくという状態に近づきます。変換効率みたいな話です。熱エネルギーを電気エネルギーに変換するときに、50%の変換が出来るより、80%の変換ができた方が良いではないですか。

まぁわかりにくい例えだったかもしれませんが、せっかくした努力を損したくないですよねって言うことです。勉強頑張ったのに結果が出ない人は、この変換効率が悪くなっている可能性が高いです。

最初は大変かもしれませんが、人は慣れるものです。まずは意識的に頭を使った努力を始めてみると良いかもしれませんね。

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